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春爛漫の陽気と神奈川の歴史


外はすさまじい暴風雨だというのに、春爛漫とはおかしいじゃないかって?
大丈夫! 今日の写真ではないから。

こんにちは。いかがお過ごしですか?

会社の同僚でイラストレーターさんの、まったりとした日常を綴っているブログ「shuku-watch」に触発されて、のんびりとした日常でも綴ってみようかなぁと思ってるついこの頃。
首都圏では桜の季節となり、はふんひょー(花粉症)も到来。
嬉しい半面、つらい季節となりました。

バッタモンじゃない花粉症お薬(←失礼だろ)飲んでますが、快方に向かう気配はなし。60歳ぐらいになると突然なる人と治る人がいるらしいですが、吾輩はその後者の方らしいです。
吾輩が60になる頃にはハワイが伊豆諸島ぐらいまでに近づいてきてますかね?(ウソです)


サクラの話。
どっちの?
どっちのって、花のほうの。


提督「この陽気・天気だと、サクラ散っちゃわないかなぁ。」

課長「近くに桜の木がないから分からないですよね。」

そう、神奈川ではホンの3日・4日前まではまだまだ固く閉ざした蕾を眺めるだけでしたが2日ほど前の晴天で一気に開花しました。
花粉症の人にとっても到来の季節となり、顔は泣き笑いをするのび太くんみたくなります。

つまり、鼻は出るわ涙は出るわで もーどうしようもない季節です。

外国にも花粉症というのはあるみたいで、花粉症の外国人も結構いますが日本人のそれとは体質からして違うようです。
なので、外人さんは花粉症で・喉を潤すために(←湿気大国なのに?)マスクをしてると不思議がるということなのです。

でも、長年日本にいると花粉症になる外国人の方もいるらしく、春の時期は黄砂の影響も相まって観光客が減ることもあるそうです。



神奈川県民ならば、道徳の時間とか地理の時間とかで川崎周辺の土地を調べるなんていう授業があったとか無かったとか。
その時に出てくる川の話。

神奈川県の川崎市は古くから東海道の品川宿の手前にあり、交通も盛んだったことから発展し続けています。

お隣の東京・横浜に比べるとあんましプライドが高い方ではないし、家賃なんかも安い方ではないのですが、両隣にあこがれを持つ方々がワンクッションの役割で川崎市に住んでいる。というのも結構聞きます。

ご存じの方も多いと思いますが、じつは川崎駅は開業当初からそのままに位置にある日本で唯一とも言っていい由緒ある駅です。
明治の文明開化で新橋~横浜間に鉄道が敷設された時、川崎駅は中間駅として開業しました。その頃で、日本で3番目ぐらいの古さです。

開業時の新橋駅は旧汐留操車場跡地にあり、現在は鉄道発祥の地として記念館が建っています。
横浜駅は現在の桜木町駅付近にあったとされ、タクシー乗り場の近くに記念碑が建っています。

そんななかで唯一現存している駅が川崎駅なのです。
開業時のホームは京浜東北線と東海道本線の中間にあったと言われています。
もう一つ有名なのが「六郷橋梁」。
日本で最初に架けられた鋼鉄製の橋であります。現在は5代目だか6代目だかが引き継いでますが、これもまた鉄道史には欠かせない存在です。

ま、関心のない人には何を言っても無駄ですが。


神奈川はその名の通り川の多い県です。
「神奈川」は、「武藏國神奈河郷」の名で見られるのが最も古いが、 その由来は以下の通り諸説ある。
(その1)この地に水源地が解からない川があり、「上無川(かみなしがわ)」と呼ばれていたため「神奈川」になったとする説。
(その2)「金川」もしくは「狩野川」と呼ばれていた川の名から、「神奈川」になったとする説。
(その3)朝鮮系住民が多かったことから「韓川(からかわ)」と呼ばれる川があり、転じて「神奈川」になったとする説。
(その4)その他、地形から見た説では、神奈川「かな」は「かま」が転じたもので、 「岸の崩れやすい川」「急流の川」を表しているといった説もある。

このような説の中から有力な2つの説を紹介します。

その一、「上無川」説
かつて、東海道神奈川本宿があるところに小川が流れていた。 水源が不明だったことから、「上無川(かみなしかわ)」と呼ばれていた。
水源が不明なのは、水量がものすごく少なかったからだ。
その後、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方に行く際、 彼の持っていた草薙剣(くさなぎのつるぎ)が金色に光ったので「金川(かながわ)」と改めました。
そして、鎌倉時代、源頼朝が金川を見て言った。 「神大いに示すの地、よって神大いに示すと書き、字を神奈川となすべし」 それで源頼朝が神奈川にしたと言う説である。

いかにも神話の国らしい雰囲気のいい話ですね。

その2「朝鮮人開拓民説」
神奈川県は、現在でも朝鮮系の住民が最も多い県として有名である。 そもそも神奈川県を開拓したのは、海路・大磯に上陸した朝鮮系の住民だった。
従って、以下の神奈川=韓川説が歴史的に見て最も有力であろう。
「神奈川県には、朝鮮系の住民が流域に多く住んでいた「韓川」(からかわ)という名の 川があった。この川の名前が変化して、神奈川となった。」

西暦666年に高句麗の使者として来日した高麗 若光(こまのじゃっこう)は、 668年に唐と新羅の連合軍に高句麗が滅ぼされると帰国の機会を失った(日本書記)。
703年(大宝3年)には、文武天皇により高麗王の氏姓を賜ると有り、 従五位下に叙された(続日本紀)。
そして、716年(霊亀2年)に武蔵国(東山道)に高麗郡が設置された際に、 都より同郡に下って郡司となったという(高麗神社の社伝等)。
その時、若光一族は、海路で都より東海道沖を航海し、大磯に上陸した。 それ以降、若光一族の一部は、神奈川の地に残り、この地を開拓した。
若光一族は、大磯に上陸した訳だから、大磯の傍を流れる金目川沿いに住んだのであろう。 金目川とは「韓メ川」のことで、朝鮮人の住む集落を流れる川という意味である。従って、金目川が「韓川=神奈川」の語源になったという説があります。
どれがどれなのかは分かりませんが、色々と地名に関する説はありすぎます。

また、朝鮮人が開拓したというのは現在一番有力な説で、その証拠に川崎市高津区には関東圏では唯一の「朝鮮初級学校」があります。

こういう理由から、神奈川県人は朝鮮人たちと仲良く、争い事なしで付き合いたいと思っているのですが中にはそう思わない人達もいるわけで。
色々と問題は尽きないようです。


神奈川と東京の県境でもある多摩川は川崎市民憩いの場所であると同時に、市民の飲水用河川でもあります。
鮎やウナギ、すっぽんにカミツキガメと固有種の他に外来種も多く生息しているため別名「タマゾン川」と呼ばれてます。

そのタマゾン川から農業用水として建設されたのが「二ヶ領用水」です。
県指定・国指定の産業遺産(?)久地の「円筒分水」をはじめとする二ヶ領流域はまだまだ暗渠化がされておらず、登戸から幸区あたりまでは水量も多いので消火用水として使ってたりします。

その歴史も古く、1590年に徳川家康が用水奉行 小泉次大夫(こいずみじだゆう)に命じ、本用水路の建設を始めさせた。
これが、稲毛領から川崎領まで続いてたことから「二ヶ領用水」と呼ばれている。

高津区民祭での灯篭流し。
現在は全線にわたってコンクリートによる護岸工事が完了しており、一部は川面に降りられるが、農業用としては終わっていることもあり通常は鍵がかかっていることが多い。



新鶴見操車場付近。
かつては横浜にも流れていたために、六ヶ領用水ともよばれていた。




前置きがずいぶんと長くなったが、本題の桜の話。
多摩川は桜の名所でもあった。しかし、老木も多くなり管理が大変であるということから多くが切り倒されたりしている。
二ヶ領用水の桜も例外ではなく、かつて「稲田堤(いなだづつみ)の桜」として呼ばれたさくらも大半が切り倒され、その一部が公園などで余生を送っているものもある。

現在も残る名所は「宿河原(しゅくがわら)の桜」

宿河原のさくら(ウィキペディアより抜粋)

で、毎年多くの見物客で賑わう。
また、用水流域周辺には多くの種類が植えられていたりして、楽しいばかりである。
寒桜や枝垂れ桜、日本の固有種も居てたまに見つけると嬉しくなる。

仕事場の近くでも多くの桜が見られ、道端で缶ビールを開けてるグループにも遭遇したりと実に楽しそうである。




一部は満開だったりまだつぼみの状態だったりと日に当たらない関係とかで咲いてないのも多い。


みぞのくち周辺は比較的色の濃いのが多い。


と、こうして書き綴っていたら外は晴れ渡らんとばかりの快晴。
春の嵐は変わるのが早い。






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